鎌倉スイス日記 : 授業のための覚え書き -2- 表現主義
調性を失ったことで、音楽はメロディーを失う危機に直面する。聞いて憶え、ハミングできるメロディーは、様々な情緒、感情を伝えるものとして最適だったが、これが失われることで、たちまち音楽の何を聞かせるのか、何を楽しみに聞くのかが曖昧となってしまった。
このことは、現在にまでつきまとう、大変な課題でもある。
調性を放棄したシェーンベルクは、それに代わるものを必要としていた。器楽作品はほとんどがミニアチュールであった。無調では長い作品に聴衆が耐えられないと考えたことも一因であろうが、まだ聴衆に無調の音楽を延々と聞く体勢は出来ていなかった。
ここに、ドイツ表現主義という新しい芸術運動が重なる。
画家ファン・ゴッホの影響を受けた若い画家たちから広まった表現主義(または表現派)は、感情を直接作品の中に反映させることで、強い印象を与えるものである。
その昔の、シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)の時代も経験したドイツらしい新しい試みでもあった。それはドビュッシーなどの印象主義(Impressionism)に対してExpressionismと大きく異なり、一種のアンチ・テーゼとして起こった。ココシュカやカディンスキー(彼はシェーンベルクのピアノの演奏風景を絵画に残している)、エゴン・シーレといった画家たちがこの表現主義の画家たちとして知られるが、音楽ではシェーンベルクやパウル・ヒンデミットなどがこの表現主義の範疇に入る作曲家たちである。
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シェーンベルクの傑作「月に憑かれたピエロ」Op.21 (アルベール・ジロー詩)(1912)は、この表現主義の生んだ傑作中の傑作であろう。この作品は、20世紀初頭に生まれた作品の中でも大きな影響を与えた。
(ちなみにシェーンベルクの名前はOのウムラウトが入るのだが、ユダヤ系ゆえに1934年にナチスの台頭から新大陸へとわたった彼は、アメリカに帰化。アメリカになじもうとoeで表し、名前もアーノルド・ショウンバーグと名乗っていたそうである)
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「月に憑かれたピエロ」ではシュプレッヒシュティンメ(Sprechstimme / Sprechgesang : 「話し声」/話すように歌うこと)という新しい技法が登場する。音程、リズムが指定されているものの、音符に斜線が入り、ピッチについては完全でなくても良い。それよりも、話すように歌うことを要求していて、ベルクの歌劇「ヴォツェック」やクルト・ワイルの「三文オペラ」などにこの技法は応用されている。シェーンベルクも後に「ワルシャワの生き残り」Op.46 (1947)でこれを使っている。
これは、歌曲の伝統からというよりも、詩の朗読に音楽をつけることから生まれたと考える方がより自然だろう。
ストラヴィンスキーの兵士の物語 (1918)をはじめ、リヒャルト・シュトラウスのエノック・アーデン "Enoch Arden" Op.38 (1897) (テニスン詩/シュトロートマン独訳) や海辺の城 ""Das Schlob Am Meere"" Av.92 (1899) (L.ウーラント詩)といった曲をはじめ、グリーグのメロドラマ「ベルグリョート "Bergliot"」(朗読と管弦楽のための) Op.42 (1870-71/1885改訂) (B.ビョルンソン詩)などが有名である。我が国の作曲家の作品でも菅原明朗の「笛吹き女 "La joueuse de flute"」(深尾須磨子 : 詩) (1931)などが思い起こされる。
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この朗読を、より音楽の方に近づけて、作曲者の意図のもとに朗読させるのが、このシュプレッヒシュティンメの目的でもある。その意味ではオペラのレチタティーヴォの延長にあるとも言えるだろう。バロックの時代のデクラマシオンに起源を求めてもよいかも知れない。
我が国の伝統的な平家物語のような語り芸を思い起こせば、これが突飛なわけではなく、極めて伝統的な世界に属していることがわかるだろう。成立の過程は全く異なるが、意図としては同じだと言っても良い。
このシュブレッヒシュティンメを室内楽で伴奏する。編成はfl(picco) - cl(bs-cl) - vn(va) - vc - pfで、指揮者を含めて7名で演奏するように書かれているが、全三部、21曲からなるこの作品で、全員で演奏するのは最後の曲だけで、他の20曲は様々な編成で出来ている。
この作品の主人公はそれでも常に「歌い手」であり、それは男性である「道化師」である。そしてそれは「英雄」でもある。このパラドックス(矛盾)こそがこの曲の最も大きな特徴を成している。歌い手はあくまで女声だからだ。
形式は、歌曲の形式ではなく、カノンやロンド、パッサカリアなどの古典の形式を採用し、器楽的、かつ新古典主義的様相を呈している。これと強烈な感情表現がもう一つのパラドックスを生む。
レチタティーヴォ風の語りが、オペラなどの劇作品を想起させるが、形はあくまで歌曲集となっている。それは3幕からなるものとなりうるものでありながらそうでいというパラドックスがここにも仕掛けられている。それは、古典派の時代の歌劇の所謂ズボン役のように女性が男性の役をやっていることで、より明確になる。
こうしたパラドックスの上に成立しているからこそ、聞く者はここに強烈な印象を受けるのである。
これは、キャバレーの音楽の影響もあるのかも知れない。シェーンベルクはいくつかの魅力的なキャバレー・ソングを書いているが、そうしたステージを想定していたのかも知れないと、聞きながらよく思う。(ちなみに、キャバレーとはフランスにおいては歌は小さな芝居を見せるためのステージがあるレストランやナイト・クラブを指す。シャンソニエもその1つ。ドイツでは文学的なバラエティー・ショーのことであり、そうしたものを上演する場所やその作品を指したりする言葉だそうだ。)
1912年。あの「春の祭典」ぐらいで大騒ぎをする当時のヨーロッパの聴衆にとってこの音楽は、理解不能だったことは容易に想像がつく。しかし、ラヴェルとストラヴィンスキーは、レマン湖畔のストラヴィンスキーの家で、この出来たての問題作のスコアを二人して研究し、ラヴェルは「マラルメの詩による3つの歌」(1913)、ストラヴィンスキーは「日本の抒情歌による3つの歌曲」(1912-13) に結実させた。
二人はsop - fl2 - cl2 (ラヴェルの第3曲のみ一人はbs-clに持ち替え) - vn2 - va - vc - pfという編成で書き、この研究の成果を残した。
その後、この作品は、ブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル 〜 主のない槌」(1952-54) (R.シャール詩)にも影響を与えている(編成はm-sop - fl - va - g - vib - xylo - perc)。
表現主義の作品としては他にヒンデミットの初期の作品から「3つの歌曲」Op.9をあげておく。そしてドイツ表現主義は第一次世界大戦後しばらくして、形式主義や、即物主義へと変化していき、ヒンデミットも実用音楽を提唱するなど、即物主義への流れを加速していったのだった。その過程でジャズをとりいれたりしているのだが、それはまたいつか…。
今回はこの辺で。
写真はチューリッヒからブルンネンへと向かう車窓の風景。春がようやく谷にも湖にもやってきた、のどかで暖かな空気が満ちていた。
この鎌倉にも早く来ないかな…。
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