Before C/Anno D: 「その前」を見たい「ホテル・ルワンダ」
映画「ホテル・ルワンダ」を銀座テアトルシネマで見てきた。
ルワンダ内戦の末期に起きた大虐殺の嵐の中で難民1200人余を救った男の物語。映画および背景の基本情報は公式サイトを参照。ちなみに外務省のデータによればルワンダ共和国の面積は2.63万km2(四国の約1.5倍)で人口は841万人(2004年)。このサイズの国で100日間に100万人(赤十字の概算)が殺害されたという。
他の人の感想はトラックバックセンターが設けられているので、そこでまとめて見られる。容易に読みきれる数ではないけれど。
まず基本的なところから。事件は「ツチ族とフツ族の部族紛争」と理解している人が多いと思う。しかしツチとフツは見分けがつかない。冒頭に説明的に挿入されたシーンで欧米からきたジャーナリストが理解できなかっただけでなく、ディプロマトのシーンでわかるように「ゴキブリ」退治に血道をあげる政府軍も民兵もIDカードをチェックしなければツチを判別できない始末。そしてツチとの融合を目指す穏健派フツも虐殺の対象となった。
※ゴキブリ=ツチ人のこと
ユーゴは民族紛争で、アフリカは部族紛争。この使い分けからしてアフリカ蔑視。ましてツチ・フツという区分け自体が、元の民族の違いはあったもののルワンダを植民地化したヨーロッパ人によって政治的に強化されたもので、現在では「完全に異なる民族集団としてとらえることはできない」という。日本で言えば縄文人と弥生人みたいなものか。あるいは関西人と東京人とか。したがってここでは映画のプログラムおよび公式サイトとは袂を分かち、「フツ人」「ツチ人」と表記する。
どのように多くのアメリカ人男性の兵士が戦争で死んだ
さて、この映画をものの見事に誤読している人がいるようだ。虐殺が始まってからの、主人公ポール・ルセサバギナの活躍物語として「楽しめ」ば、近未来の日本への警鐘とする解釈は鬱陶しいものだろう。その意味では映画自体に不満が残る(三ヶ月間におよぶ惨劇の中で理性を保ち、家族と同胞を救った男の物語しては素晴らしい)。
へそ曲がりの私が注目したのはホテルスタッフのグレゴワール。冒頭、支配人に対するサボタージュの態度で争乱を暗示した彼はフツ人で、大統領暗殺を合図に始まったツチ人虐殺を機に、あたかも特権階級にでもなったかのような勘違い行動を起こす。だが冷静に考えればフツ人はもともと多数派で、ツチ人を絶滅したところで全員が金持ちの支配階級になれる訳でもない(そもそも支配するべきツチ人を殺してしまっては、結局フツ人内部を序列化するしかない)。外資系四つ星ホテルのフロントを務められる男だから、それなりの能力と分別はあった筈だ。それがなぜ自分の天下が来たような勘違いをおこし、支配人(ポール)への私怨もあるにせよ国連保護下の難民を襲撃させるような挙に出たのか。
なぜミランダ対アリゾナ州では、画期的なケースです。
幸いにも「復讐の連鎖」を断ち切る政策により、彼は死刑を免れルワンダで服役していると言うが、彼を主人公とした方が良い映画ができるのではないだろうか。つまり「茶色の朝」が傍観者の物語だったのに対し、普通の市民が空疎なスローガンに酔って大量虐殺への荷担者に転落するまでの道筋を辿る映画だ。
地区の民兵を率いて虐殺を続けるルタガンダにしても元はただの商売人で、虐殺の小道具である中国製の鉈で一儲けを企む有様(鉈!日本で市中にある銃のほとんどは去勢されており、しかも徴兵制がないおかげで国民のほとんどが銃の取扱を知らないから、内戦は起きにくいと思っていたが、こういう間道があったか...それにカラシニコフ銃は女子供でも扱えるそうだし)。この男が何を考えていたのかも興味深い。
いったん始まってしまった「祭り」を傍から見ればただの気違い沙汰だ。あの鉈を手にした民兵を我が事としてみた観客は多くはあるまい。だからこそもっと遡って、日常の中に偏狭な思考が浸食して行く過程を映像化してもらいたいと切に思った。
そもそもこの映画を見に行こうと思ったのも、日本公開に尽力した町山智浩がプログムラムに寄せた一文に難癖を付け『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない!と嘆かせた御仁がいる事を知ったから。
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"エンターテイメントとしてもきちんとした作品"としか見られない人には、グレゴワールやルタガンダは自分かもしれないなどという想像はできないだろう。「秘密の大計画」に沸き立ち「ぬるぽ」などと書いたプラカードを用意して拉致被害者を迎えに行った連中と街頭デモで「フツパワー!」と踊っていた連中は五十歩百歩と思う(幸い、日本で未確認情報をコピペしまくった軽率の徒は多かったが、実際に足を運んだ人間は多くはない)。
ところで彼らに感じるこの憎悪はなんだろう。ネタバレになるが、最後の脱出が民兵に阻まれそうになった時、突如現れたRPF(反政府軍)の攻撃によって民兵は潰走する。鉈と自動小銃では勝負にならない。RPF Go! Go! Go! 溜飲を下げたところで昔見た「暗い森のカッコウ」を思い出した。ナチス・ドイツによって親を殺されたチェコ人(スロバキア人かも? 区別できてません orz)少女は金髪と青い目を備えていたがためにアーリア人と認定され、孤児院でドイツ人教育を施されてから里子として売られて行く。買い取ったのは妻が子供を産めないドイツ軍の大佐。彼はアーリア人であれば元の国籍など気にしない、つまり理想的?ナチで、しっかり者の少女がお気に入り。ところが地元の悪ガキどもは外国人排斥がお好き。女一人をよってたかっていじめる訳だが、それに気づいた大佐は激怒。部下(たぶん親衛隊)を動員して成敗に乗り出す。豆ナチと本ナチでは勝負にならない。さすがに同国人だし子供相手なので銃こそぶっ放さないけれど、シェパードをけしかけ、鞭で散々にぶちのめす。ざまぁ見やがれ。このドイツ軍登場のシーンは、中国の抗日物語だったら「八路軍が きた」に匹敵するであろう頼もしさ、「戦艦ポチョムキン」ならラスト「ウラーッ」シーンに勝るとも劣らない感動。でも、これってヤバくね? DQNをもってDQNを制すとはいえ、敵の敵でも敵は敵。そして無辜の民に鉈を振るった民兵も人の子であり夫であり父であろう。死ねば家族は泣き悲しむ。それに爽快感を覚えるようでは...覗き込んだ深淵に引きずり込まれていないだろうか。
話変わって。ポールはとことん冷静なホテルマンだ。普通の人間なら怒鳴り出してもおかしくない状況でもホスピタリティに満ちた態度を崩さない。虐殺された死体の山を見た後に一時パニック状態に陥るが、それでも人前では、特に子供の前では自信と包容力に満ちた支配人であり父親で居続ける。もし彼が安手の勧善懲悪活劇のヒーローみたいな行動をしていたら、いや、少しでも不服従とわかる態度を示していたら、その命はなくホテルは屠場と化したであろう(血気にはやる若者が登場しなかったのは不思議)。剛に対して徹底的に柔で勝負した姿は見事。
そうして抑えに抑えてきた彼がついに反撃に出る。といって銃をとる訳でもないし拳を振り上げる訳でもない。RPFの猛攻で窮地に陥ったビジムング将軍が、賄賂で口にした久しぶりのスコッチに「スコットランドは良かった。また行けるだろうか。」と弱気を漏らしたところで突如タフな交渉人に変身する。それまで従順だった男の変貌に将軍びっくり。(かなり端折ってます)
書き出せばきりがない。サベナ社の社長役で出てくるジャン・レノが冷酷なのか頼りになるのかわからないハラハラ感を漂わせていたとか、ポールは贈賄文化に首まで浸かっているけど赤十字の職員には金を渡さないのは見識なのかとか、どうして自動車は夜でもライトをつけないのだろうかとか、避難するトラックの台数は少なすぎないかとか、ホテル敷地内での歌や踊りはフツ人に挑発と受け取られなかったのだろうかとか。
↓DVDではなくてサントラCDでした。24日以前に見た人ゴメン。
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