2012年4月28日土曜日

第16章


    第16章  フッ素化翼賛体制の構築

 1950年以前には、科学者はフッ素は有害で毒性があり、歯牙フッ素症や骨格の変形をきたす原因物質だと見なしていた。しかし、これをアメリカ中の水道にフッ素を添加するとなると、こうした認識は矯正しなければ始末がつかなくなる。こんな認識の異様な逆転はどうしたらできるか。この答えはただ1つしかない。全国の科学団体がフッ素化を情熱的に推進することである。

 普通、フッ素化のような手段が是認されるには、学会や学会誌や論文の上で、科学的証拠を慎重に分析したうえで行われるのが正常であろう。しかし、フッ素化の場合はそうではなかった。科学に必要な反論や国民感情などは全く無視され� ��のだ。ある科学団体がフッ素化に賛意を表する場合でも、私は、その団体が会員全員の意見を聞いた上で決定した例など1つも思い出すことができない。少数の評議員の言明などが、真にその団体全員の合意だといえるであろうか。

基礎となった研究 
 前章で触れた1951年の不名誉な学会の直後から、多数の科学団体が相継いでシンポジウムを開催し、フッ素化是認の基礎固めを強固にした。1例をあげれば、全米科学推進協議会は、2回にわたって(ペンシルヴァニァ州フィラデルフィア市、1951年。ミズーリ州セントルイス市、1952年。)フッ素化の推進だけを目的としたシンポジウムを開催した。その記録集の序文の中で、ハーバード大学の歯学研究者であったJ・H・ショウは次のように述 べている。「各章の著者各位は、それぞれの方面で著名な有資格者であり、高度な偏見なき見識を有しておられる方々であることは申し上げるまでもありません(1) 」。

 もし、そうなら、これらの高名な方々の卓越な信頼性は、残念ながら、宗教的情熱を対象とするには甚だ不適格であったと言わなければならない。何しろこの会議の参加者は、全員が公衆衛生局の職員か参与であった。もし、そうでない者がいれば、彼らはいずれもフッ素廃棄物で問題を抱えている企業の関係科学者であり、そのいずれもが、賛成派として挺身することになる人物群であったからである。フッ素化に反対するようなデータをもっている科学者はいずれにしろそこには1人もいなかったのである。
 そこで発表された論文は後に出版されたが、そこには明らかに、1951年のバルの忠告である「我々は世間に対して、フッ素にはよい作用があると断言した以上後もどりはできないのだ」という言葉の強い影� �が看取できる。

 早い時期にフッ素化を是認した団体の1つに「慢性疾患評議員会」(1954)がある。この組織は、アメリカ病院協会と「慢性疾患の諸問題」を研究するアメリカ公共福祉協会が設立した独立した国立機関であった。そのメンバーは専門家と学識経験者とで構成されていたが、その中には、ヴァッサール大学学長、製薬会社社長、元公衆衛生局長、後の公衆衛生局長、ウォルター・ルーサー(労働者代表)、市民運動の指導者等の有力者がいた。これらの多忙な人達にはフッ素関係文献を読む時間など全くなく、当局から出される所見に頼ることしかできなかった。その当局自体が報告書のなかで、その所見が独自の研究に基いたものではないことを認めているのだ(2)。

全米研究協議会(NRC)
 科学者の集まりであるこの組織は、その後アメリカ全土にわたってフッ素化の是認のために続々として設立されたフッ素化研究委員会のパターンを確立したものとして有名である。ジョン・ホプキンス大学公衆衛生学教授であるK・H・マキシイ以下の3人の委員は、ここでこの問題の研究を委託されたのであったが、彼らは研究する代わりに、単に別の委員会である全米研究協議会(National Research Council-NRC)の特別委員会の意見を採用した。

その委員会の委員長も、同じマキシイ教授その人だったのである(3)!

 このNRCはアメリカ学術会議の下部組織であり、科学の各専門分野の指導者によって構成されていた。これは1916年にアメリカ学術会議の研究機関として科学技術分野の主な学会の協力を得て設立され、公衆衛生局と企業の密接な連携をもたらした。この2者がフッ素化のスポンサーであったことは言うまでもない。
 NRC特別委員会の9人のメンバーの牛耳をとっていたのは、主に3人の科学者の発言であったが、そのなかの2人、即ち、B・G・ビビー(ニューヨーク州ロチェスター市にあるイーストマン歯科診療所所長であり、製糖会社の研究財団のために研究を行ってきていた人物)と、F・F� �ヘイロス(シンシナティ市保健衛生コミッショナーであり、シンシナティ大学ケッタリング実験研究所の副所長−この研究所は、いずれも深刻なフッ素汚染問題に直面していたアメリカ・アルミニウムほか8社の資金援助を受けていた−)は、フッ素化を推進する企業と密接な関係をもっていた。3番目の科学者は公衆衛生局のH・T・ディーンであり、彼は屡々「フッ素化の父」という名称で呼ばれている。

 このような訳であってみれば、この特別委員会の「中立的」なメンバーたちが、時間的にも努力のうえでも非常にコストがかかる厄介なフッ素文献を、個人的な勉強をせずには認識しかねるフッ素の有害性に気がつかなかったのも無理からぬ話である。この委員会の最終報告書は1951年11月29日に提出されたが、� �の中で言及された論文の数は30であった。そしてこの30編の論文の著者のうち2人(デンマークの科学者であった故ケイ・ロールム博士とP・C・ホッジ博士)以外は、公衆衛生局や企業のような推進組織と深いつながりがある人達なのであった(3)。
 この報告書は、3百万人以上もの人間が何世代にもわたって天然フッ素水を飲用しているという理由を以てフッ素化は無害だと示唆している。この主張は「何百万人という人間が何百年もの間、さしたる障害もなしにタバコを吸いつづけている以上タバコは無害だ」というに等しい(参照:脚注16−1)
 医師がある疾患の原因に気がつかぬ時は、臨床でその疾患に出会うことがどれほど多くても、その源を確定することは不可能である。これはタバコ、フッ素、� �スベスト、カドミウム、水銀などの無数の環境化学物質による慢性中毒の場合にも当てはまるのである。



訳者による脚注16−1:医学史上、はじめてタバコの害を指摘し、ある種の疾患が禁煙によって治癒する事を論文に書いたのはウォルドボットである。 


 NRCの報告書にはもう1つ重要な条項がある。〔この報告書で〕ミシガン州グランド・ラビッズ市(訳者注:実験的にフッ素化された都市)における虫歯の減少が報告されたが、それと同時に、比較対照都市であった非フッ素化のマスキーガン市でも同様に虫歯が減少していたのであり、その割合は6歳児で22%、7歳児で28%であった。換言すれば、これらの現象は、フッ素以外の何かの因子が:フッ素化非フッ素化を問わず、両都市の虫歯の発生率を減少させたと思われるのであるが、この興味をそそる事実に対しては委員会は何の説明も加えていないのである(4)。

いかがわしいフッ素化賛成の数々
 1950年代の初めに出されたNRCの報告書と1954年の慢性疾患評議員会の解説書は、多くの科学者の支持を獲得した。この文書を読んだ者は、当然このような問題は徹底的に試験されたものと考え、学識ある組織の権威あるメンバーによる言明を疑うような事はしなかった。しかし、ある団体が、団体の名において賛成しても、それは会員個々の立場を反映したものとは言えない。
 例えばアメリカガン学会(その「賛成」は,公衆衛生局ニュースに引用され,全国に伝えられてきた)の医事処理担当の副会長であったJ・P・クーニー医学博士は、1965年2月1日に私の秘書のE・L・マイラーに宛てて次のような手紙をよこしている。「ガン学会はフッ素化に関しては、今まで賛成・反対のどちらの意見も公的に� �述べた事がないことを指摘しておきます」。多くの保健団体は、フッ素化賛成の公表を強制されたのであった(表16−1を参照)。

 


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表16-1フッ素化に賛成したと発表されたものの、それが間違いであった団体の一覧
団体名 言明者 日時 言明の内容
アメリカ水道事業者協会 F・Cアスベリー会長 8/5/55 .我々の立場は、フッ素化を肯定も否定もしていない。
合衆国内68医科大学予防医学部門の長(N.Y.タイムズ) わずか4大学だけが賛成 6/14/56 21大学は公式に賛成していないことを断言。15大学は教授または学部からステートメントが公表れたが、組織の長は、これらは個人的なものであり、公的なものではないとの談話を発表した。
アメリカ精神医学会 A・Mデービス副会長 7/5/56 我々は如何なる形のものであれ、フッ素化に賛成したという認証を与えた事実はなく、〔与えたという事実が公表された事については〕当事者と接触して誤りを正してゆくつもりである。
アメリカ心臓学会 R・Eロザーメル副会長 7/10/56 . 私が知っている限り、本学会がフッ素化に賛成したという事実はない。
全米小児マヒ財団 M・Aグレーセル副会長 7/10/56 財団はこの件については、どのような立場に立ってもいない。フッ素化賛成の団体として公表されたのは間違いである。
アメリカ化学会 R・Mヲーレンン氏 8/20/56 当学会は、フッ素化の研究も検討も指導した事がない。
カリフォルニア大学メディカルセンター S・Pルチア所長 10/31/56 この機関によりフッ素化の賛成が公的に認められた事は一度もない。
ボワード大学 R・Sジェーソン医学部長 11/1/56 当大学より賛成反対の意見表示をしたことはない。
ハーバード大学医学部 G・Pベリー学部長 1/21/57 本学部は今までに発表したどのステートメントにおいても、大学の名称を使用する許可を与えた事実はない。
アメリカ癌学会 クーニー副会長 7/27/62 当学会は、フッ素化に関する疑問が如何なるものであれ、この問題に何の立場も有していない。この疑問は当学会が関心をよせているものではない。
災害保険会社協会 J・Dドーセット総支配人 10/1/62 .私どもの協会は、フッ素化についての公共的立場は何もない。
テキサス医師会 J・Dニコルス医博 5/22/63 テキサス医師会は、水道をフッ素化する事に賛成する事も、その安全性を保証する事も断る。
アメリカ世界大戦参加軍人会 W・Jカルドェル副理事長 9/19/77 .我々は全国組織としては、フッ素化に関して賛否いずれの立場にもない。

 アメリカ水道事業者協会は、会長であるF・C・アムスベリー二世を通じて1955年8月5日に私に手紙をよこしたが、その内容は単に1949年の協会理事会で採用された解決策を繰り返しているだけであった。「我々の立場は、フッ素化に賛成でも反対でもない事は知って頂きたいと思います。この件は全て、フッ素化の利害を判断しうる適任者に任されているのです。」

 開業医の支持を得ようとすれば、大学や医学部・医師会等に賛成に回ってもらう必要がある。かくして医学関係者は、1956年10月31日づけのカリフォルニア大学医学部メディカルセンター予防医学部門(サンフランシスコ)の責任者S・P・ルチア博士がニュージャージイ州グレンリッジのA・H・コードゥエル夫人にあてた手紙でわかるように、いつも何かに急かされるような立場に置かれることとなった。
 この手紙は、カナダ保健連盟のゴールドン・ベーテス博士が、1954年の夏に北米の各大学医学部の教官のフッ素化についての意見をつぶさに調査した事を述べている。ルチア博士は初めはこの問題に関して何の情報も持ち合わせていなかったので、ベーテス博士の最初の手紙を無視したのであったが、2度目のものには、「多数の教授の、そうですね、私が見たかぎりでは71の大学の予防医学の教授の意見がリストアップされていた」のである。
 3度目の手紙(1954年6月8日)に対して、同博士は次のような返事(1954年6月20日づけ)を送ったと、同夫人に述べている。「フッ素化の支持のために提出されている解剖学的組織病理学的証拠は、フッ素化が無害であるばかりか実際上有益であるとの結論を確証しているようであります。」しかし、彼は次のようにも付言した。「しかしながら、当部門による水道フッ素化の公的な賛成は、いまだかつて1度もなされたことはありません。」

 バーバード大学医学部長のG・P・ベリー博士は、賛成したという事を否定する点ではより強硬である。彼はコードゥエル夫人に宛てた1957年1月21日づけの手紙で次のように述べている。「バーバード大学医学部は、フッ素化問題に関するど� �文書にも、未だかつて大学の名称を使用する許可を与えた事実はありません。賛成反対のどちらにせよ、そこに大学の名前をあげるのは完全なまちがいです。」
 ある場合には大学の教官の名前が賛同文書に載せられて、そのため非常に迷惑を被ったということもあった。ワシントンDCにあるハワード大学医学部のR・S・ジェイソン医学部長は、E・L・マイラー氏への手紙(1965年2月19日)で、予防医学・公衆衛生部門の長であるP・B・コルネリー博士が、「公衆衛生局から入手したデータと、水道フッ素化はコロンビア地方で何の困難もなしに開始されてきたという事実だけに基づい」て、フッ素化には賛成すべきであると確信する立場を採るようになってきたと述べている。ジェイソン博士は、彼� �主管している医学部が一方的な情報だけを受け入れてきた事を認めているのである。彼は次のようにも述べている。「私が知っている限りでは、ハワード大学が、大学としてフッ素化に賛成した事実はありません。」

アメリカ医師会
 医師にとっては、医師会の声の方が大学よりはるかに強力である。従ってアメリカ医師会の賛成は、フッ素化というバスの運行にとっては決定的である。当時、医学の領域ではフッ素研究は全くの処女地であり、経験ある医師にとっても、もしアメリカ医師会が「フッ素化は無害である」といえば、それを吟味するようなデータの入手は不可能であった。公衆衛生局は生化学者であるF・J・マックルーアにこの仕事に着手させた。
 マックルーアは1951年に、ア� ��リカ医師会の「薬理・化学委員会」と「食品・栄養委員会」に出席して「飲料水にフッ素を添加しても無害である」と断言した。このため、この2つの委員会は、フッ素化が有害であるということは「何らの証拠も知らない」と言明することになった。しかし、それにもかかわらずこの2委員会は、次のように警告してもいる。「骨粉錠や糖衣錠などの天然フッ素を多く含有しているものや、歯磨剤やチューインガムのように後からフッ素を添加したものは、水道がフッ素化されている地域では避ける必要がある(5) 」。
 驚いたことにアメリカ医師会雑誌の読者のうちのごく少数の人達は、この1951年の賛成案が、フッ素を長期間摂取した場合の臨床データなど何もないまま決定されたものである事を見抜いていたのである。このようなデータの欠落と賛成案の政治的な決定とは、当時のアメリカ医師会公衆衛生委員会委員長であったロードアイランド州のC・L・ファーレル博士にはよく分かっていた。私への手紙(1954年10月16日づけ)の中で、博士は「アメリカ医師会政治連盟のロサンゼルス大会の席上で、2人の州保健コミッショナー(1人はコネティカット州、もう1人はウイスコンシン州)が、『アメリカ医師会はフッ素化を強力に支持し、隅々まで賛成し、フッ素化の利益を激賞した会議録を作成する』と いう決議案を提出してきたのです」(6) と述べている。

 「私は完全に理解ができました。」と博士は説明している。
「その場では反対というものは全くありませんでした。少なくとも組織的なものはです。質問に立ち、フッ素化の提案に立ち向かえるほど十分な説明を受けた者など1人もいなかったのです。」
 提案を多少ともマシなものにするため、ファーレル博士は「フッ素化に賛成」という言葉に、より穏やかな「原則として」という表現を付加することを提案した。「そうすれば、医師会がフッ素化に完全に賛成したという訳にはならないでしょう」と彼は言っている。


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 このようにして、1度はフッ素化は「原則として賛成」ということになった。しかし、医師会の理事、とくに専務理事であるG・F・ラル博士と、雑誌「今日の健康」の編集長であったW・W・バゥエル博士の2人は、フッ素化推進の猛烈なキャンペーンに従事していた。
 医師会雑誌の編集長オースチン・スミス氏は、1954年7月9日に「医師会の『政治連盟』がフッ素化に賛成した以上、フッ素化に好意的でない論文は受け付けることができません」という手紙を私によこした。この20年間にフッ素化に反対するデータを含んだ論文が幾つかこの雑誌に掲載されてきたが、このような証拠にもかかわらず、これらの論文は全て「フッ素 化は安全である」という言葉を連ねている。アメリカ医師会の一般会員は、フッ素化の安全性と同様、価値の解釈のうえでも極端な偏見に晒されてきたとしか言いようがないのである。

 私の要望に応じて医師会の「食品・栄養委員会」と「薬理・化学委員会」は、1957年8月7日にシカゴの公聴会でフッ素化の論評を行った。H・T・ディーン博士とW・D・アームストロング博士が賛成側として出席する一方、私とF・B・オクスナー博士が反対側の代表として招聘された。
 オクスナー博士は放射線科医であり、フッ素の健康に及ぼす影響に関しては当時もっとも著名な専門家であった。委員会のメンバーは、C・A・エルベジェム博士(生化学者)とM・H・シーバース博士(薬理学者)の2人しか出席していなかっ� ��。シーバース博士はかつてフッ素の研究を行った人であるが、2人とも臨床家ではなかった。その他のメンバーであるアンナーバーのミシガン大学のA・C・カーチス博士などは推進運動に従事していた人である。あとその場にいたのは公衆衛生局のコンサルタントたちであった。

 オクスナー博士は公衆衛生局の統計研究の大きな誤りに焦点を当てて、きわめて学問的な講演を行った。彼は、また,天然フッ素の曝露(1.2〜5.7ppm )を受けた21歳のテキサスの兵士の症例についても議論した。その兵士は、そのために、生涯の大半を重い骨フッ素症と致命的な腎臓病に侵されたのである。
 私は当時研究していたフッ素の燐酸およびカルシウムの代謝に及ぼす影響(第14章を参照)について短い講演を行った。あらかじめ私は委員会に対して、フッ素化水による中毒の症例報告の別刷を提出していたのであるが、その重要な問題は実質上無視された。私はまた、非フッ素化地区のデトロイト(0.1ppm )で遭遇し、ディーン博士がフッ素性であると認めた斑状歯の写真も示説した。彼は、斑状歯に関する彼の経験を概説したが、天然フッ素地域におけるフッ素以外のミネラルの歯を保護する上で果たす役割についての私の質問には何も回答しなかった。アームストロング博士は主に、血液中のフッ素の分析に関する彼の新しい方法について話をした。

 アームストロング博士は、〔この会が〕こんな成り行きになることなど予想もしなかったと語ったが、この言で、彼は図らずも、この公聴会の目的が両陣営の論争の誠実な検証にあったのではなく、ただ〔会員である〕医者に対して、如何にも慎重にこの問題を検討したと見せかける所にあったのが暴露された。

 私自身やオクスナー博士の話が3人のメンバーによって続け様� �妨害された時に、私ははじめて、この会の雰囲気が敵意に満ちている事を感じ取った。その1人であるペリン・ロング博士などは極めて感情的であった。パネリストの1人であるC・A・エルベジェム博士の如きは、彼の同僚の目にも露骨なほど、私の仕事を軽視しようとした。

 この2つの委員会の報告書で、私の症例報告(反フッ素化の完璧な医学的証拠を含んでいる)は、次のたったの数行で片づけられた。「これらの〔ウォルドボットの慢性中毒に関する〕報告は、フッ素化水に起因する複合症状の提示としては、偏見をもたずに受容することを正当とする〔症状の〕一貫性を示す事に成功していない(7)。」フッ素慢性中毒の大半の初期症状が、きわめて多彩な一貫性のないものである(第9章を参照)以上、このコメント� �事実において私の提出した証拠を支持するものであり、これを無効とすることなどできる性質のものではない。

 この報告書は、フッ素化に賛成する一方で20頁にわたって好ましいデータと同時に、為害性のデータをも明らかにしている。例えば、斑状歯は「フッ素の摂取による傷害の最もデリケートな基準である(8) 」といった具合である。また、フッ素化水の生理的作用が、水中に存在する他のイオンの性質や濃度により、個々で予想もできないほど多様になることも指摘している。「飲料水や食物中のppm の値」より、1日あたりのフッ素の総摂取量の考察こそ必要であるとも強調しており、「異なった気温の下の異なった習慣の異なった人達のフッ素の摂取量は極めて多様である」ことを警告してさえいるのである。また、これには、「人間が摂取する液体や食物中のフッ素を、その安全限界を保証するために、十分な数の人間と十分な期間について測定することは実際上不可能である」(9) という意義深い一節がある。これはこのステートメント中の白眉であろう。
 巨大なる矛盾はここで再び強い光をあてられて浮かび上がった。例えフッ素化が是認されようと、この矛盾が消えさるような事は全くないのである。
 
 アメリカ医師会代議員会  
上記の報告書は、猪突猛進するフッ素化賛成集団により支持を受けた。これに反対的なある会員は、この火を噴くような問題を避けようとした。ミシガン州の4人の代議員のうちの1人であったJ・A・デター博士は、この時の模様を私への手紙(1957年12月11日)の中で率直にこう述べている。「フッ素化にあからさまに反対することは、政治的に自殺することです。」それにもかかわらず、嵐のような討論の後での投票では、1/3の代 議員がフッ素化に反対したのであった(10)。
 
 公衆衛生局によるフッ素化の支持 
 アメリカ医師会、アメリカ歯科医師会やその他の強力な団体は、合衆国内外のフッ素化をさらに推進して行った。科学団体の役員と委員は結託し、こうした科学的問題には不可欠な自由討論は極力省かれていったのである。賛成派の長大なリストに挙げられた団体(表16−2)の中には、アメリカ公衆衛生学会のような公衆衛生局と緊密な関係にある団体もあったが、アメリカ小児科学会のような独立した専門団体もあった。 

 世間から尊敬されるこのような団体が道を拓くと、合衆国内にある無数の、この問題に関しては素人の集団が、問題を何一つ研究することもなく請願の後に続いた。青年商工会議所� �労働組合、婦人連盟、PTA、奉仕団等々。著名な市民、科学記者、政治家、政府、官僚、さては大統領までもがこのために名前を貸したのである。かくて国レベル地域レベルを問わず、賛成者の数は雪ダルマ式に増えて行った。これらは皆、公衆衛生局や歯科医師の指導と密接な連携を取るいわゆるフッ素化「研究委員会」を通じて増えていったのである。


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表16−2  フッ素化に賛成するアメリカ国内の諸団体(公衆衛生局しらべ,1970年)a
アメリカ小児科学会 全米科学推進協議会
アメリカ歯科大学協会 アメリカ産業歯科医会
アメリカ公衆衛生歯科医会 アメリカ癌学会
アメリカ歯科衛生学会 アメリカ歯科衛生士会
アメリカ工業労働組織連盟 アメリカ心臓学会
アメリカ栄養研究所 アメリカ国軍 
アメリカ医師会 アメリカ看護婦協会
アメリカ接骨士会 アメリカ薬剤師会
アメリカ公衆衛生学会 アメリカ公共福祉協会
アメリカ学校保健会  アメリカ小児歯科学会
アメリカ獣医師会 アメリカ水道事業協会
アメリカ公衆衛生獣医会 州・準州保健担当官会議
慢性疾患委員会 アメリカ病理学会
アメリカ実験生物学会連合 連邦衛生工学学会 
産業医学会 アメリカ児童研究学会
全米PTA協議会 合衆国青年商工会議所
68医科大学予防医学部門所属長会議 保健衛生学会内部委員会
全米教育学会 全米市町村法律担当官協議会
a F・J・マックルーァ:水道フッ素化・探究と勝利・(国立歯学研究所,メリーランド州ベセダ市,pp.249-251,1970)より.しかし,例外については表16−1 を参照

 
世界保健機構(WHO)
 フッ素化は合衆国国内ではこのように多数の団体の賛成を獲得するという著しい成功を収めたが、海外ではごく限られた賛成しか得られなかった。その中でも世界歯科連盟(FDI)はごく少数の例外の1つであり、フッ素化を国際的に推進することを唱導した。1958年つまり、アメリカ医師会の報告書が出た翌年に、世界保健機構(WHO)はフッ素化について研究するためにジュネーヴに専門家委員会を設置した。7人の委員のうちの少なくとも5人は、それぞれの母国でフッ素化を推進してきた人達であった。
 
 J・W・クヌトソン博士とH・C・ホッジ教授という、推進派としてはアメリカ国内で極めて有名な2人がここで発表を行った。ホッジ教授の研究の幾つかは、オザーク・マホーニング化学会社と、今では存在していない原子力エネルギー委員会の資金で行われてきたものであり、この2者ともフッ素の廃棄問題で深刻な局面に立たされていた組織であった。
 
 専門家委員会の他のメンバーであるストックホルム大学歯学部カロリンスカ研究所のインベ・エリクソン(Yngve Ericsson) 教授は、ヨーロッパで最も有名なフッ素推進派の1人であり、それまでに合衆国公衆衛生局の研究資金の提供を受けてきており、その次にスェーデンの歯磨剤産業から特許料を受けた人物であった。私のフッ素化水による中毒の報告を提供したいという申し出は拒絶された。WHOの威信にかけて彼らの論文は次のように述べている。「この報告書は国際的な専門家グループの見解を集めたものであり、必ずしもWHOの政策の決定を表しているものではない(11)。」公式に是認したのはそれから11年後である。
 1969年7月23日に、フッ素化はボストンでの第22回WHO総会で再び取り上げられた。この方法を〔WHO加盟の傘下各国に〕勧奨するという決議案は、協議事項として毎日のように取り上げられたが、イタリア� ��セネガル、コンゴなどの国々の代表により強く反対され阻止された。
 イタリア代表団の首席であったG・ペンソ氏は、フッ素化を「全てのものに添加物を加えないではいられない現代の狂気」と表現した。彼は「我々が呼吸し摂取している空気中や食物中のフッ素量は未知である」ことを指摘し、特に次の世代へ障害を与えることの可能性について警告した(12)。それにもかかわらず、会議の最後の131カ国の代表1000人のうち僅か5〜60人しか出席していなかった時に、懸案となっていた議案は全が一緒くたにされ投票にかけられたのである。その中にフッ素化の決議案が混ぜられていたのであった。その決議は柔らかい表現になってはいたが、水からのフッ素摂取量が「至適レベル以下」の地域でフッ素化を導入することを多数の国家が検討中であるということを� �調していた。また、その決議は、事務総長に対して「ウ蝕の病因論の研究を奨励しつづけること、食物中のフッ素量、飲料水中の至適レベルのフッ素の作用機序、天然フッ素の過剰摂取の作用などについてWHO総会に報告すること」(13)を要請した(参照:脚注16−1)


訳者による脚注16−1 :フッ素化を世界に拡大する契機となった1969年の第22回WHO総会の模様は、わが国の代表浦田純一氏(厚生省大臣官房統計調査部長・当時)の発言とともに高橋晄正博士によって詳しく紹介されている(フッ素と虫歯・高橋晄正編著・三一書房・1978年)。

そのほかの国々によるフッ素化の是認
 外国の科学団体や保健担当省も研究委員会を設置した。1952年の2月から4月にかけて、歯科医療官J・R・ホーレストを代表とするロンドン保健局の使節団がミシガン州グランド・ラピッズ市、ニューヨーク州ニューバーグ市、オンタリオ州ブラントフォード市、テキサス州バレット市、メリーランド州ベセダ市にある国立歯学研究所、シカゴのアメリカ歯科医師会本部などを歴訪した(14)。彼らのホストは、シーレ公衆衛生局長、クヌトソン局次長、ディーン、アーノルド両博士らであった。この訪問とアメリカの同じ役職にある人達の温かい歓迎に、イギリス人委員らのフッ素化に対する情熱は一挙に燃え上がった。これらの人達は、いずれもイギリスにおける� ��ッ素化の強力な提唱者となった。

 イギリスがフッ素化賛成を決めた後、公衆衛生局はオーストラリアとニュージーランドでの導入に狙いを定め、アーノルド、ディーン、マックルーアらを中心に、局の科学者や科学者1人学識経験者2人の合計3人から成る「研究使節団」を訪問させ、アメリカ流のキャンペーンを開始した。
 カナダではオンタリオ州保健省のM・B・ダイモンド博士が「公共上水道フッ素化に関する調査報告委員会」を創設し、同じくこの委員に2人の学識経験者(委員長・裁判官K・G・モーデン氏とE・L・フラクケル夫人)と1人の医師(オンタリオ州ロンドンにある西オンタリオ大学学長G・E・ハル氏)を委任した。科学者であるハル医師は、1960年5月2日〜13日のトロントでの公聴会� �おける委員会の審議にを指導的役割を果たした。

 そこではこの問題に対する関心が、三重に輻輳してぶつかり合った。彼の息女はフッ素汚染で問題を抱えているアルミニウム製造会社の社員であり、彼自身カナダでの指導的なフッ素化推進団体である「カナダ保健連盟」から名誉顧問という待遇を受けていたばかりか、その大学はアメリカの推進機関の中枢である公衆衛生局から研究資金を供給されていたのであった。公聴会に先立って、委員会は、フッ素化にきわめて好意的な6人のカナダ人歯学研究者が書いた短いパンフレットを配付した。言うまでもなく、その文書には、カナダ全土のフッ素化が提唱されていたのであった。

 しかし、その他の国々では事態はそう簡単には進展しなかった。多くの科学者がフッ素化に� ��議を唱えていたからである。フランスでは、北アフリカのフランス直営の燐酸鉱山の住民や労働者の骨フッ素症が報告されていた。イタリアでは、ローマ北方やシシリーの火山地帯での食物や飲料水中の高濃度のフッ素が問題となっていた。アイスランドではヘクラ火山が度々噴火して羊や牛や農作物にフッ素被害の深刻な経済的損失を引き起こし、フッ素の有害性を痛感させられていたのであった。インドでは広大な地域に地方性フッ素症が蔓延しており、保健行政当局の関心は専ら如何にして飲料水からフッ素を除去するかに注がれていたのである。

全米アレルギー学会
 スェーデンやオランダなどの海外の科学者がフッ素の有害性を認識するようになってきた丁度その頃、公衆衛生局は全米アレルギー学会の 役員らに対して、彼らの声をフッ素化の推進に加えることを要請した。1971年6月、この団体の11人の評議員は、満場一致で次のような声明を発した。「水道フッ素化に使用されるフッ素でアレルギーや不耐性を起こすという証拠は全くない」(15)。
 アレルギーがある人間は、健常者に比べ、明らかに薬物中毒を起こしやすいという事が知られていたために、評議員らは局の要請を承認することでフッ素中毒を報告した論文の衝撃を柔らげようとしたのである。


 しかし、奇怪なことには、これらの著名な科学者の中にフッ素の生体影響の研究をした人は1人もいなかったのであり、会員の意見も調査されず、会員の患者にフッ素中毒に罹患したものがいたかかどうかも全く調べられなかったのである。この声明には7論文が付随していたが,〔問題意識の〕深さの点で、この問題の要点を網羅したと見せかけることもできなかった。ある論文は、歯磨剤中のフッ素やフッ素ドロップによる激しいアレルギーについて記述しており、別の論文はフッ素錠によるアトピー性皮膚炎とジンマシンの症例を記録していた(16,17)。巻末の文献欄には私の慢性フッ素中毒に関する論文は1つも挙げられていなかったが、その代わりに、以前私が一般市民向けに執筆し た"魔王との闘い"(1965)に言及した部分があった。しかし、飲料水中のフッ素による障害を数々の証拠をあげて明らかにした科学的文献(18-30) は、全く参考にされなかったのである。
 
 この声明が発表された頃、公衆衛生局は、アレルギー学会の11人の評議員のうちの4人に対する1971年の研究助成金(総額780,621ドル)を発表した(31)(表16−3を参照) 。ほかの殆どの評議員達もアレルギーの研究でこのような助成金を以前に受けてきていたのである。公衆衛生局の助成金が、科学者個人に対する「ヒモつき」(32)の報償として、政治面でしばしば重要な役割を演じてきたことは秘密でも何でもない。11人のアレルギー専門家による決議は、連邦の恩恵に対する感謝の印と見ることができよう。 残念ながらこの声明は、この人達の顔触れから純粋に科学的なものであるかのように受け取られ、広く流布した。例えば、ロンドンの英国王立医師協会(Royal College of Pysicians−RCP)の委員会は1976年にこの声明を引用し、飲料水からのフッ素中毒に関する私の症例報告の妥当性を否定し次のように述べた。
 
合衆国公衆衛生局は全米アレルギー学会に対して、フッ素アレルギーや不耐性の結果であるアレルギー反応の主要なタイプに関して、入手しうる限りの臨床報告を明らかにするとともに、そのような症例のある種のものが、あるタイプの薬物反応として理解されるべきなのかどうかその可能性を検討することを要請した。学会は後日「水道フッ素化に使用するフッ素にアレルギーや不耐性があるという証拠は全くない」という声明を発表した(33)。 
 このRCPのステートメントは、学会の報告書に対する私の反論(34)を否定できないまま無視したものでしかないが、全米アレ ルギー学会の声明と同じように、フッ素化賛成団体である「歯科医師会」にもそうする事が要請されていた。RCP報告は主としてWHOのモノグラフ(13)や全米研究協議会(3) からの陳腐な偏った引用に基盤をおき、その大部分がアメリカのフッ素化賛成の好戦的な声明を単に繰り返しているばかりであった。フッ素化に好意的でないデータは全く相手にされず、ヒモ付きでない研究によって見出された客観的なデータなどは全部省かれていたのである。
 しかも奇怪きわまることに、1977年の全米研究協議会の報告書(35)は、RCPのこの結論に言及しているのであるが、この結論はそこまでに至る情報をかつてこの協議会から得たものなのである。ここにこそ我々は、賛成派の常套的なストーリーを見て取る事がができるだろう。そのストーリーとは即ち、ワシントンの公衆衛生局で創られたフッ素化賛成のメッセージがある団体から別の団体へと渡り歩き、最後にまたワシントンへと戻ってきて、公衆� ��生局の手で行政の立場として再度繰り返されるというものである!
 何故こんなにも多くの学術団体が、フッ素化の衝撃について熟慮することもなく、個人的な小グループの言説に反応してバスに乗り遅れまいとするのであろうか。その答えは恐らく沢山ある。その幾つかをあげてみれば次のようなことになろう。
★虫歯を予防したいという歯科医師の熱烈な欲求
★この計画の立案者の威信
★フッ素の長期間の生体作用に関する知識が欠落したまま、専門的知識を有する第三者を説得する際の保健官僚の能力
★賛成する科学者には研究資金を簡単に与え、反対者には与えないこと
★このプロジェクトが多くの人道家に深くアッピールしたこと
などである。そしてこれらの要因が絡み合って、フッ素化は推進されて きたのである。しかし我々は、ここに公衆衛生局歯科保健部の存在があるのを忘れてはならない。この部局の医歯学やマスコミに対する影響力はまことに甚大なのである.

表16−3 全米アレルギー学会評議員に対する公衆衛生局の助成金一覧(1971) (31)
受領者  所在地   金額 
K・F・オースチン マサチュオセッツ州ボストン $486,112
R・S・ファー コロラド州デンバー  101,682
E・ミドルトン二世  コロラド州デンバー  88,149
C・E・リード  ウイスコンシン州マディスン 104,678

 公衆衛生局
 1950年6月1日(36)にフッ素化を決定した公衆衛生局は、当時は健康・教育・福祉省の1部局であった。メリーランド州ベセダにある国立歯学研究所(National Institute of Dental Research −NIDR)は又その1部門であるが、設備とスタッフの良さではおそらく世界で最高の歯学研究センターであろう。科学の世界におけるこのような高い地位のために、議会の指導者や大統領は局のアドヴァイスを、それがこの国で真に最良の判断であるかどうか真剣に考えることなしに受け入れるのである。

 局歯科保健部のトップはアメリカ歯科医師会のトップと密接な関係にあり、他にもある多数の団体と同様に、役員、委員会、協議会などの各レベルでメンバーを交換し合っている(38)。と同時に、彼らはアメリカ医師会の政策形成団体の代表者でもある。例えば、局はシカゴにあるアメリカ医師会の本部に永久的な地位を有しており,局係官はアメリカ医師会および州や準州の医学団体の重要な会議のメンバーになってもいるの である。
 このように公衆衛生局は、全国各州のあらゆる科学団体に深く根を下ろしていばかりか、議会、陸・海・空軍、食品薬品局(FDA)、更に最近では環境庁(EPA)とも密接な関係にあり、科学データの提供面で政府機関が恩恵を受けている最高権威者の集りである全米学術会議の研究協議会を通じて産業界ともリンクしているのである。また、この役所の官僚は、国内医歯学の主要な学術雑誌の役員にも名を連ね、新聞、ラジオ、テレビ、医学記者、ニュースのコメンテーターなどの大衆に接する立場の人達とも接触を欠かさない。威信にものをいわせ、研究資金を左右することで、この役所が簡単に科学者や学識経験者の思考を支配できるということに疑いはないのである。

 そもそもフッ素応用の研究のために� ��れだけの金が使われてきたか、詳しく知っている者は誰もいないだろう。国立歯学研究所の理事であるS・J・クレショーバー氏によれば、連邦政府の予算局は、「フッ素化が中々実現できないということに関係するような計画のためだけに使われる予算は、その削減を勧告する」という(37)。しかし、我々は1957年〜1973年にかけて、アメリカ歯科医師会が合計6,453,816 ドルを受け取ったことを知っている(38)。このうちのどれだけがフッ素化のために使用されたのかは確かめようがないが、何百万ドルといった額なのは確かであろう。

 教育・健康・福祉省の歳出に関する下院小委員会委員長であった故J・A・フォーガティ議員と、元上院歳出委員会委員であったリスター・ヒル上院議員という連邦議会の元大物2人は、局といつも接触を保っていた。彼らは議会の中で、この役所の予算要求が如何に膨大なものになろうとも常にこれを支持しつづけてきたのであった。この従者としての働きのために、この2人は公衆衛生局長の推薦によりラスカー賞を受賞した(39)。

 ワシントンのこの局の歯学者らが1950年以前に、彼ら自身「予測される危険性」と言ったフッ素化に猛進したことで、一 体何が起こっただろうか。
 元来、公衆衛生局という役所は、伝染病から社会を守るために創られたものであり、それは著しい成功を収めてきた。一方、この成果に比べて予防歯科は、第2次世界大戦以前には殆ど進歩が見られなかった。何年もの間、局の歯学研究者は、彼らの最も深刻な健康問題として、虫歯と闘い続けてきたのであった。従って、フッ素化がこのような人達の心を捉え、彼らの祈りに対する回答こそこれだと思ったのも当然であったろう。かくしてその情熱の赴くまま、潜在的危険性に関する研究など行うことなしに、彼らはフッ素に殺到したのである。


 彼らの熱意に寄与したものにもう1つの考えがあった。
原資に限界というものがない公共機関と同様、官僚は常に彼らの影響力の拡大に情熱を注ぐものである。1953年に公衆衛生局長のレオナルド・シーレは、州・準州の保健担当者会議に出席した折りに、フッ素化は「非感染性疾患に対する集団的施策」の1つの例だと言明した(40)。フッ素化は、彼らの野心的な目的を完成するための手段の1つであったのかもしれない。(参照:脚注16−2)
                  ★
 1950年に逆ピラミッドの先端から吐き出されたフッ素化推進運動という噴煙は、今やキノコ雲のような勢いである。あらゆる学術団体は、公衆衛生局が吹くハメリンの� �に誘い出されたネズミのように、フッ素化という名のバスに乗り込もうとする。この本の読者は自分自身で判断されるだろう。果して、科学的客観性と言われて来た事が、フッ素化を検討する地域のための「選択」の導光となったのかどうか。また、果して、アメリカ水道従事者協会やアメリカ消費者連盟、アメリカ生命保険協会、全米PTA協議会、市民生活防衛局、農務省、国防省、全米青年会議所および国内の様々な組織の長から出されたフッ素化賛成の声明は、科学的な価値と結びついているのであろうか。



訳者による脚注16−3:アメリカ厚生省の公衆衛生局を中心とする組織図については、ジョン・イアムイアニス博士の著書 Fluoride The Aging Factor,2nd Edition,pp.118にくわしい。訳者もかつて訳書「プリニウスの迷信」において解説した。


 誰でも「大衆心理」の効果というものを理解しているが、最近の医学の歴史的事実は、あらゆる事の真相が明らかになるに従って、公衆衛生的手段をこぞって支持した結果がどんなことをもたらすのか我々の記憶を刺激するにちがいない。
 例えば、公衆衛生局の豚インフルエンザのワクチン計画はこの国のあらゆる保健行政当局によって推奨されたものであるが、その結果としてジェラルド・フォード大統領は、膨大な数の国民への集団接種のために1億3千5百万ドルもの費用を投じた。しかも、この計画は、ワクチンの注射が致死的な神経麻痺(ギラン・バレエ症候群)を惹起することが明らかになったため急に中止され(1976年12月16日)、ついで局は計画そのものをまるで疫病神のように捨て去った。政府がある主張を無視したために、実に1億ドルも無駄にしたのであった。それにもかかわらず公衆衛生局は、いまだにこの政策の深刻な過ちを決して認めようとはしないのである。

 この場合ワクチン接種という名のバスは、4千万人が� �種を受けたあとで転覆してしまったからあったからまだよかった。(参照:脚注16−4)
 もちろん、局の歯科保健部のみにこの巨大なフッ素化実験への参加の熱狂を拡散させてきた責任があるのではない。多数の科学者を含む世間も、また、歯科のユートピアを信じたがってきたのである。そして又、フッ素化運動のごく最初から、局と密接な関係にあった産業がこの運動には極めて重要な役割を演じてきたのであるが、それらについては、おそらく世間はまだよく知ってはいないのである。次章においてフッ素化に対する産業の関心というものに焦点を当ててみる所以である。



訳者による脚注16−4:この豚インフルエンザ(swine Flu)のワクチン禍事件というのは、アメリカ厚生省の保健政策の大失敗による薬害事件としてよほど有名なものであるらしく、 イアムイアニス博士も前記の著書でくわしく紹介している. それによると、 この計画はアメリカ厚生省公衆衛生局傘下の「疾病管理センター(CDC)」が中心になって推進した計画であり、存在もしていない「豚インフルエンザ」という疾患の予防のために4千万人の人間がワクチンを接種され、その結果約1万人が死亡し、少なくとも1千人がギラン・バレエ症候群という神経麻痺のため被害を受たという。この惨憺たる結果に終わった計画の責任者であったデービッド・センサー博士は、その後ニューヨークシティの保健コミッショナーに転身し、現在同市のフッ素化の指揮をとっているという。イアムイアニス博士はこれをアメリカの保健官僚の腐敗の1例として挙げている。
 この章で著者らが描いている米保健衛生行政の実態は、一口に言えば、「官産学」の癒着による� �フッ素翼賛体制」の構築に他ならない。これは政治が独裁化してゆく第一歩である。ヨーロッパでフッ素化と闘ったの医学者たちから、「アメリカ人はヒットラーと闘ったことはあっても、これに支配された経験がないため、これが独裁者の常套手段であることに気がつかない」と辛辣に論評される所以もここにある。
 この独裁的行政を背後で操っている者は誰かと言えば、フッ素を廃棄物として排出せざるを得ない軍需産業つまり、ケネディ大統領を暗殺した軍産複合体である。アメリカにおいてフッ素問題がすぐれて民主主義の問題として浮上している理由はここにある。軍産複合体については、国際ジャーナリストの落合信彦氏の著作が非常に参考になる。

 日本でも小規 模ながらこれとそっくりの手法が、新潟県におけるフッ素洗口推進運動に受け継がれている。(参照:フッ素化の真の狙い−アメリカ官産学癒着の実態−)

              文献

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