先輩たちの声:留学の体験から(2)
先輩たちの声:留学の体験から A
留学される皆さんへ・・・小林なほ
留学体験記(ハイデルベルク大学)・・・森麻紀
ベルリン工科大学交換留学体験記・・・宮前恵理子
(「先輩たちの声:留学の体験から@」へ)
留学される皆さんへ 小林なほ
具体的な研究計画と指導教授とのコネを持って飛行機に乗りこむ大学院生の留学と違い、学部生の留学は個人個人の意識や目標によって千差万別です。勉強や生活のスタイルは皆さんが自分で創っていかれるでしょうから、ここでは私の留学生活全般についてお話するよりも、私がドイツで過ごした1年の間に大切にしていたモノを思いつくまま並べてみることにしました。何らかの形でお役に立てれば嬉しく思います。
【ラジオ】 留学生にとっての最初の関門、DSH(語学の入学試験)の形式は、大学ごとに若干異なるようですが、読解・聴解・要約(作文)の3要素は必ず前提になっています。学部の一年生でドイツ語を始めた私がやはり一番苦労したのは、ディクテーションと聞き取ったテキストの内容要約でした。1ヶ月間のDSH集中準備コースを受けている間にもあまり指導してもらえず、試験前に慌てて、ラジオニュースをカセットに撮ってディクテーションの練習に使ってみたのですが、これが結構当たりでした。というのは、毎時0分に流れるラジオニュースは a)短い(5分程度)b)テレビのように視覚に頼らない c)内容が新しいので、どうにか毎日続けられて、語彙も随分増えたからです。カセットに録音しておけば、聞き逃してしまう心配もありません。ドイツのラジオプログラムは結構充実している(ラジオ討論はイタダケマセンが……)ので、聞き取り練習に限らず、楽しんでみて下さい。
【明るい色】 鉄のような意志と実行力を持った人は別として、365日間モティベーションを保って頑張り続けるのは不可能です。私はドイツで生活してみて初めて、うまくいかない日も投げやりにならず落ちついて過ごすこと、平凡な毎日を楽しめることの大切さを実感しました。気分が沈みがちで何も手につかない時、私はいつも明るい色のセーターを着てゆっくり散歩することにしていました。新しい空気や明るい色に、目と心がなごむと、普段の生活の景色も違って見えてきて、案外元気になったりするものです。
【カレンダー】 ドイツではなぜかウイークリー手帳ばかり見かけるのですが、見開き1週間のページを広げて週末の空欄を埋めるのに躍起になっていると、大切な期日や情報を見逃してしまいがちです。履修計画がほぼ個人に任せられているドイツの大学では、学期が始まる前に各自がゼミの予定を把握し、課題を決めなければならないことが多いので、うっかり期限を逃すと、一学期間何もせずに終わってしまった、ということにもなりかねません。1年という限られた期間を有意義に過ごすためにも、しっかり年間カレンダーを見て、学期/休暇ごとに具体的な目標を立てることをお勧めします。
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【スティックだしの素】 心も体も疲れ気味で、だしの味が懐かしくなった時には、スティックのだしの素が重宝します。かさばらないし、お吸い物・うどんスープ・煮物etc.色々なお料理に使えます。ちなみに、私は野菜(カブ・キュウリ・ニンジン・キャベツ)を薄切りにしてこぶだしの素で漬けた"野菜の浅漬け"を作りおきしていました。こうすると、水分が多くて大味なドイツの野菜も結構美味しく食べられるし、野菜不足解消にもなります。
【書類ファイル】 よく食べ、よくしゃべる口は、時と場合によっては信用しない方が賢明です。"(何を言おうと)書かれて残っていないものは無かったこと"にされてしまうケースが少なからずあるからです。つまり、何の手続きでも(住居、滞在許可、銀行口座、保険etc.)大切なのはハンコ付きのオリジナル書類とサインです。契約書類には毎回きちんと目を通し、ファイルしておきましょう。慣れないうちは面倒なものですが、外国で生活する上で欠かせないことの一つです。
【「どういたしまして」】 色々な事がうまくいったり、人に親切にしてもらった時 "Danke!"というのは口をついて出てくるものです。が、普段日本語で「ありがとう」に対し「いえいえ」「とんでもない」などと答えているせいでしょうか、"Danke"と言われた時、胸を張って"Bitte schon!" "Gern geschehen!""Nichts zu danken!" と返せるようになるまで、少し時間がかかりました。小さなことですが、はっきり気持ち良く返事することで、友達にも良く理解してもらえるし、自分に対しても少し自信が持てるような気がします。"Nein, danke."が大切なのは言うまでもありません。
【ボールペン】 言葉だけでなく、もの・道具にも小さな"慣れ"が必要なことがあります。私が初めのうち少し苦労したのは"ボールペンのみ可"のテストや書類でした。それまで鉛筆で書き、消しゴムで消すのに慣れきっていたので、初めてのテストの時、ボールペンで書いて二重線で消して……を繰り返しているうちに答案用紙が真っ黒になり、自分で何を書いたか読めなくなってしまったのは忘れられません。今ではめったに鉛筆は使わなくなりましたが……
日常生活での思いがけない習慣の違いを経験できるのも、留学生活の醍醐味です。思う存分観察し、尋ね、真似して、生活まるごと楽しんで下さい。 留学の準備を進めている皆さん一人一人が、たくさんの発見と笑顔にあふれた1年を過ごせますように!
留学体験記(ハイデルベルク大学) 森麻紀(95年次生)
私は1998年3月から1999年2月まで1年間、ドイツのハイデルベルクに留学していました。大学を休学して、奨学金なしの私費留学でした。
ハイデルベルクは、とても古い、きれいな小さな街というイメージで、素敵そうだなという気持ちで選びましたが、今振り返ると正しい判断だったと思います。
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最初は自分のドイツ語に自信がなかったので、語学学校に通い始めました。語学学校では様々な国から来た人たちに知り合えて良かったと思っています。しかし、ドイツ人と知り合う機会はあまりなかったので、後半、大学に通うようになってからの方が、ドイツ人の友達は増えて、生のドイツ語に触れる機会が多かったように思います。語学学校には日本人が結構多いです。
ドイツにやってきてまず苦労したのが、やはり言葉の問題でした。日本で3年生まで終えてやってきたのですが、話すことはまだまだほとんどできず、最初の2ヶ月はホームステイをしたのですが、慣れるまでは結構苦労しました。そして、多分日本人のせいかもしれませんが、自分で自覚はそれほどなかったのですが、正しいドイツ語を話そうとするあまり、発言をするのがぐっと減ってしまったようです。それをよく、家の人や学校の先生に注意されました。
ドイツで困ったことは、お店の開店時間です。宗教上の理由により、日曜日は完全にお休み、土曜日も早いところではお昼に、遅くとも4時には閉店してしまいます。そのせいで、金曜土曜などはレジに長蛇の列が並びます。しかもレジの人は急ぎません。愛想も良くないことが多いです。そして、もし間違いがあっても謝らない人が多いです。不愉快な思いをすることが多々あります。
それから、役所の人の対応も一般的によくありません。当時、まず私は3ヶ月のビザを日本でもらい、それからドイツで1年間に延長してもらわなければなりませんでした。苗字のアルファベットによって担当の人が違います。そして、担当の人によって、言うことも違うことも多々ありました。延長してもらう期間は3ヶ月から長くは2年まで、担当の人によって対応が違い、場合によっては必要書類も違うので、運を天に任すしかありません。ハイデルベルクの外人局は特にそのムラが激しいということを聞いたこともあります。
半年語学学校に行った後、DSHという大学入学のためのドイツ語の試験を受けて、大学に入学しました。専攻は 外国語としてのドイツ語学科(Deutsch als Fremdsprache) と日本学(Japanologie)でした。この二つの学科がある大学はドイツの中でも限られているので、偶然にハイデルベルクを選びましたが、よかったなと思っています。Deutsch als Fremdspracheは外国人のためのドイツ語学科なので、Germanistikとは違って、発音や語彙などの専門の授業などもありました。また日本学があることで、日本人に利点になることがたくさんありました。まず、日本学の図書館には日本語の本がたくさんあります。そこで勉強することもできるし、本を借りることもできます。そして日本学を学ぶ学生は、日本語、日本人に興味があります。日本学の学生とTandemという語学交換授業ができます。こちらが日本語を教え、向こうにドイツ語を教えてもらうというものですが、一緒にただお茶をしたり、友達になる良い機会と考えてよいでしょう。月に一度、日本語を話す会という集まりも日本学研究室主催で企画されていて、いろいろ良い機会に恵まれていると思います。
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ドイツの住居形態も日本とは違います。WG(Wohngemeinschaft)という、キッチンとバスルームが共同で、それぞれが自分の部屋がある、という形態です。普通2〜5人くらいでしょうか。そして家具付きの部屋が結構普通です。ドイツ人はもちろん、自分で家具を持ち込みたいでしょうが、外国人の私などにはとても便利です。引越しもそのぶん楽にできるし、敷金礼金というしきたりは基本的にありません。そのかわりに一般的に保証金(Kaution)一ヶ月分を払います。ハイデルベルクは観光地ということで物価がドイツの中でも高いほうで、家賃もドイツの中ではかなり高いほうですが、日本に比べると断然安いです。高く見積もって、3万円前後で部屋が借りられます。大学生になると学生寮にはいることもできます。寮費はさらに安い上 に、新しい建物に入居できると、最近はインターネットのLAN接続が設備されています。
そしてドイツの大学は基本的に学費がかかりません。一学期で施設費みたいなものが1万円しないくらいです。私のいるバーデンヴュルテンベルク州は、数年前から14学期目から1000DM(7万円くらい)払うことになりましたが、それでも日本と比べれば段違いです。
ドイツ人は、基本的に親切です。ニコニコしながら歩いている、というわけではありませんが、こちらが質問などをすると丁寧に答えてくれるし、助けを必要としていると手を差し伸べてくれます。ただ、一部には外国人に対して敵意を持っている人もいて、たまにいやな思いもします。私は一度、外国人だからかどうかはわかりませんが、浮浪者のような人に絡まれて、怖い思いをしましたが、それはまだ良い方で、知り合いの中には、殴られた人や、直接、「ドイツから出て行け。」といわれた人もいます。しかし、そういう人は日本の中の日本人にもいるわけで、割合としてドイツのほうが高いというわけでもないと思います。ただ、気をつけることは必要だと思います。
しかし1年というのは本当にあっという間に過ぎてしまいます。留学する前に比べるとだいぶ上達しましたが、やはり満足のいくほどではなく、私は上智を卒業後、再び本格的に留学することを決意しました。2000年4月から、再びハイデルベルク大学で学び始めました。ドイツの大学の良いところ、または便利なところは、一度退学しても復学とても簡単にできるという点です。ドイツ人は卒業を急いでない人も多く、例えば大学生の間に産休を取ることもできるし、外国に長く留学する人も多いです。30歳くらいでまだ学生の人にも良く出会います。みんなDUで呼び合い、日本の大学とはまた違った雰囲気をもっています。卒業すると学士はなく、修士が取れます。なので、日本の大学よりは長くかかるのも納得できますが、そ� �にしてものんびりだなと思います。
ドイツの冬は長く暗くつらく、ドイツ人は冬によく鬱になるといいますが、よくわかります。それと対照的に、ドイツの夏は最高に素晴らしいです。夏時間になり1時間朝が早くなることもあり、夜は9時過ぎまで明るく、そんな中でオープンカフェなどで友達と一緒に食べたり飲んだりするのは本当に快適です。日差しがとても強く、でもカラッとしているドイツの夏は、一度経験してみても良いと思います。まず、その土地に住んでみて、その土地の人と直に触れ合ってその言語・文化を学ぶこと、それは(基本的には)大学時代にしかできない贅沢なときの過ごし方だと思います。そのようなチャンスに恵まれた人は、どんどんチャレンジしていって欲しいと思います。
ベルリン工科大学交換留学体験記 宮前恵理子
一年間住んでいた学生寮の窓から、ベルリンのシンボルの一つであるテレビ塔やポツダム広場のソニーセンター、戦勝記念塔、ティアガルテンの緑が見えました。台所でお湯が沸騰するのを待ちながら、外を眺めるのが楽しみでした。初めて寮に着いた日、同じ階に住むドイツ人が、一つ一つそこから見える建物や場所の説明をしてくれたことを思い出すと、懐かしいです。
私の留学したベルリン工科大学は、そこから歩いてすぐの6月17日通り沿いにありました。東西統一後の首都であるベルリンは再開発が進み、新旧多様な文化や、世界中の人が集まり、活気にあふれています。地区によってもそれぞれ色があり、博物館、美術館、カ� �ェ、工事現場が数え切れないほどあります。どこを歩いても、ドイツ人だけでなく、中国人、トルコ人、スぺイン人、パレスチナ人、フランス人、モロッコ人などなどさまざまな国の人とすれちがうのです。
夏学期は大学のドイツ語コースを中心にして勉強し、冬学期はそれに加えて、ベルリン自由大学の音楽学の授業を受けました。日本の大学と違い、国籍や年齢の違う人ばかりなので、刺激になりました。ゼミに参加すると、皆積極的で自己表現が上手く、見習うところがあったり、逆に日本人の良さを感じたりすることもありました。他の大学を自由に聴講できる制度は魅力的でした。ベルリンフィルハーモニーのコンサートや州立歌劇場のオペラなどが毎日催されているので、学生割引で聴きに行ったりしました。週末は、� ��くの蚤の市や公園で散歩したり、楽器の練習をしたりしてゆっくりと過ごしていました。
ベルリンや近くの都市に、上智の学生や日本人がたくさん留学していたので、恵まれた環境だったと思います。留学前から日本に帰るまで、落ち込んだり困っていると、誰かが必ず助けてくれたり、一緒に旅行したり、食事したり、ベルリンに遊びに来てくれたり、電車に飛び乗って遊びに行ったり。一人一人に思い出があり、感謝しています。
イースターのパーティー、夏の雨上がりの虹、湖で泳いだこと。秋は大学の通りの紅葉が色づき、冬に入るとクリスマスの市が並び、雪が一面に降り積もりました。、曇り空の風景も印象に残っています。ベルリンでも、四季の移り変わりが美しかったです。
無我夢中で過ごし そろそろなじんできた頃に、帰国したのであっという間の一年間でした。夢の中の出来事だなと思っていると、ドイツ語のメールが届きうれしくなりました。ベルリンの地図を見直すと、一年前にはあれこれ想像していただけだったのに、地名を見ると、いろんなことが思い出されるようになっていることも幸せに感じています。
(「先輩たちの声:留学の体験から@」へ)
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